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「400年に1度のめでたい日」に売れたからには、次を買うのみとなった私だが、次をどんな物件にするかについては、譲れない条件というのはいくつかあったものの、さほど悩んだ覚えはない。譲れない条件というのは、会社に近く駅から徒歩10分以内であること、日当たりのよいこと、そして造りがしっかりしていること、この3点である。これは考えるまでもないことだった。 売却した物件は、会社にも近かったし、買い物も便利、銀座にも乗り換えなしで行けたし、結構便利だった。おまけに、電車ではいつも座れた。都内で、朝座って会社に行けるところなど、そうないだろう。だけど…みんなが住みたいと思う場所ではなかった。土地カンのある人には、便利だということがよくわかるだろうが、区外からわざわざ買おうという人は、なかなかいない。これが売却するときに苦労をした所以の1つである。 この「私もみんなも住みたい場所」選びは、結構難しい。まず、出せる金額に限りがある。それに、私にはこれといって住みたい場所というものがなかったのである。常日頃からノーブランド志向の私は、青山にも代官山にも自由が丘にも別にあこがれがなかった。青山なんて、通勤には不便だし、物価も高い。金持ちなら別だが、紀伊国屋で日用品を買っていたのでは、破産してしまう。代官山だって急行はとまらないし、JR沿線でもなく、面倒な場所なのでほとんど足を踏み入れたことがない。第一、渋谷乗り換えはまっぴらごめん。自由が丘にしたって、会社から遠いからパス。 そんなとき、研究会から送られてきた、これから売り出すマンション一覧に出ていた1つの物件に目がとまった。 これは画期的なことというか、夢のような話だった。(今現在、私は格別舘ひろし様のファンではない。50を過ぎても相変わらずかっこいいなぁと思うくらい)それに、同僚のS男も、中○△で、中山美穂と一緒に焼肉を食べたと自慢していたではないか。(見ただけじゃなくて、一緒に食べたそうである。でも2人っきりではありません)かの美人女優、みぽりんも来るところなのだ、中○△は。 |
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